Dementia
医療と介護にまつわるコラム
認知症について
見返りのない仕事、見返りを期待しない仕事
自分では当たり前に思ってきたこと、自分ではいつもそうしてきたつもりでいたこと、今日人から言われてはっと気づいたこと・・・。
そう、私は自分の仕事は、見返りのない仕事で期待もしてはいけない仕事だと自覚し、それを誇りとしてきました。でも、本当に見返りを期待していなかったといえるのでしょうか?今日、ある方のお話を聞いて深く考えさせられました。
私の仕事は、病気と取り組むこと、病気になって苦しんでいる人、希望をなくした人、立ち直ろうと必死でいる人に手をさしのべること。もちろん、私にも家族がいます。生活の糧は必要です。でも、お金がほしくて選んだ仕事ではありません。もちろん見返りなんて望んだこともありませんでした。 私が今思いつく見返り、たとえば、お礼に高価なものやお金をいただく、ただで飲食三昧、などでしょうか。そういう頂き物はなかった?ブログの最初にも書いたようなチケットもそのひとつ、今までにたくさんの頂き物がありました。ロハで飲食?たぶん、ロハじゃないけどたくさんのご馳走を載せていただいたことだって数知れません。でも、そのどれもが、意図して望んだものではありません、見返りと考えていただいたものではありません。温かいお志をどうしても断りきれなかったのです。小樽のいいところです。特に私の住む地区は、受け入れられたら抜けられない(?)まさに濃厚なほどのアットホームな街、好意を無碍(むげ)にすると嫌われてしまいます。この「好意」、物ではなくその心を私は見返りとして期待していたのでした。
自分では見返りなんてこれっぽちも期待していなかった、ずっとそう思っていました。でも、違ってました。元気になって喜んでくれること、ありがとうと言ってくれること、笑顔で帰って行かれること、結局はそれがなかったらこの仕事は放棄していたことでしょう。 そのことに気づかせてくれたのは、認知症老人のお世話をしている、一人の女性でした。
彼女は長男の嫁という理由で、ある日夫の両親を引き取ることになりました。荷物を整理して明日は小樽というその夜に、「この人たちのところにいったらどんな目に遭わされるやら」・・・それが彼女の出発だったといいます。それからというもの、この二人(両親)はボケているのかわざと反抗しているのか理解に苦しむ嫁としゅうとの確執の日々が始まりました。まるで嫁いびりをするかのように人前ではしゃんとして受け答えし凛として立ち居振舞う。でも、失禁して汚れ物を押入れに隠し、夜中にどんぶり飯を豆電球の下で食べ、ついにはオムツでズボンの下を膨らませ、名前を縫い込んだ上着を着せられた姿は認知症と認めざるを得ません。まさに嫁いびりの認知症老人です。
長男の嫁として・・・彼女の中の負けじ魂が一念を貫きます。彼女の奮戦記は彼女自身のもの、私には書くことはできませんが、そのテーマこそが「見返りのない仕事、見返りを期待しない仕事」です。 「疲れたからといって肩を揉んでくれるわけでもありません、たまには温泉にと言って年金の一部をくれるわけでもありません、何もないけど感謝でいっぱいですと涙してくれるわけでもありません。周囲の者からは、あの嫁はしゅうとにあんなみっともないものを着せてとか、しゅうとに対してあそこまでしなくてもとか言われても、誰一人として『えらいね』と言ってもらったこともありません。私がいったいあなたたちに何をしたというの、どうして他人の私があなたたちの面倒をこうまでしてしなきゃいけないの、そう思って悔しくて眠れなかった夜は何度あったことでしょう。」 「でも、そのうちにだんだんわかってきたんです、介護というものに見返りなんてない、見返りを期待してできるものではない、ということが。」 大事な夫の親だから、最後まで自分のできることはしてあげたい、出発のあの夜でさえ、それ以外の理由はなかった。毎日毎日同じ戦いの繰り返し、でもその一日一日を乗り越えていくうちに不思議と自分の心が穏やかになり、いつしか、その日の自分を褒めてあげられる自分がいたのです。「いまでは自分がこんな気持ちになれたことに感謝すらしています。」 見返りを一切期待しない心、・・・それは人の心の原点かもしれません。
by やぶれがさ
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