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医療と介護にまつわるコラム
病気と健康
曽祖父 飯塚森蔵(まだ途中)
飯塚森蔵、今から140年前の明治17年11月1日、秩父事件の首謀者の一人(乙大隊長)として秩父困民党を率いて蜂起し、事件後消息を絶った。
秩父事件といえば、明治の自由民権運動がもっとも激化した時期の運動であり、後の国会開設に一石を投じた「暴動」事件、というのが大学受験向けのにわか知識であった。にわか知識ではあったが、それでも、「秩父事件のとき、板垣退助が結成した自由党それ自体は事の重大さを憂慮して直前に自由党を解党し世論から「逃げた」くらいのことも知っていたので、「秩父事件は国民の不満が爆発した農民一揆」くらいにしか思っていなかったし、国民の不満を無視するとまた全国に暴動が起こると危惧した政府が明治20年にようやく国会開設に踏み切った、とまことしやかな歴史解釈をしていたものだった。
自由民権運動について調べ始めると意外にも、板垣退助自身は西郷隆盛らと同じく征韓論者であったり、自由民権と謳っていても根底はナショナリズムだという意見もあったり、明治維新そのものがナショナリズムの夜明けであったような気もしてくる。
しかし・・・飯塚森蔵は歴史家ではなかった。哲学者でもなかった。板垣退助がいかなる意図を持って愛国公党を結成し、民撰議院設立建白書を作り1814年に自由党を結成したのか、
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